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世に生を得るは、事を成すにあり。
坂本竜馬
解釈例
自分がこの世に生を受けた理由、存在理由を説いた言葉です。事を成すにあり。自分が生まれて来たのは何か事を成す為だとしています。何も遺さず、何も生まず、何も成さないのは生まれた意味がないとも受け取れます。
生を得たのですから、何か事を成さなければならない。そう考えた坂本竜馬らしい言葉といえます。坂本竜馬のように生まれてきた理由を考え、その理由に忠実に生きていってこその人生です。成すべき事は大きな事ばかりではありません。例え小さな事でも成す事に意味があるのではないでしょうか?
名言の活用例
人生の目標を見出せずにいる子供。何か夢をと言っても漠然としてしまっていて難しいですよね。「事を成す」というのも漠然としていますが、偉業を成し遂げた坂本竜馬の決意を改めて考える事で、何か見つかるかもしれません。お子様と一緒に考えてみませんか?例えばこんな風に…
出典の解説
坂本竜馬 天保6年11月15日(1836年1月3日) – 慶応3年11月15日(1867年12月10日)
江戸時代末期に倒幕、明治維新で活躍した土佐藩士。1835年に現在の高知県で土佐藩士の父のもと次男として生まれる。兄と3人の姉がいたので実質第4子であった。上士と下士という階級があった土佐藩において下士の家柄だったが、質屋・呉服屋・酒造などを営んでいた才谷家から分家される歳、多額の財産を分与されていた為非常に裕福な家庭であったとされる。12歳で母が死去。その後は父の後妻に育てられる。幼少期は気弱で漢字塾に入塾するもいじめに遭いほどなく退塾。以降はすぐ上の姉に武芸や学問を教わった。彼の人生に多大な影響を与えたのは後妻の前夫の実家である下田家で、そこで様々な輸入品や土産物を見て非常に感銘を受けたと伝えられている。18歳の時剣術を学ぶ為1年の期限付きで上京。竜馬の人生に大きな影響を与える人々と出会う。浦賀港にペリーが来日したのもこの頃。剣術だけではなく軍術や砲術、蘭学など様々な学問にも触れ、人間として大きな成長を遂げる。以後、西郷隆盛らと倒幕を目指し意欲的に活動。政治結社も兼ねた貿易会社「亀山社中(後の海援隊)」の名前も現在には色濃く残っている。坂本竜馬の成した偉業は数え切れず、竜馬関連の著作も多岐に亘って刊行されている。大政奉還の一ヵ月後、近江屋事件で暗殺。31歳で生涯を閉じた。
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